「提灯屋さん」責任編集。大提灯、祭り提灯製造と紹介。
提灯や祭りについていろいろなんでも話しています。
[提灯レポート]2013/05/14
今回は幼い頃の記憶の話です。
提灯が当たり前に、かつ重要に扱われるものに時代劇があります。
私の時代劇ファン歴は長く、始まりは保育園時代に遡ります。家は自営の仕事をしており、母も近所へ働きに行っていたので、幼い頃は祖母が私の面倒を見てくれていました。
明治生まれの祖母の部屋は御真影の掛かっているタバコ臭い部屋で、しかし当時我が家に二つしかないテレビの一台がありました。
居間にある足のついた校長先生の机のように大きなテレビのチャンネル権は子供にはなく、観たい番組があるとよく祖母の部屋に行きました。
保育園から帰ってくるとバス停まで出迎えに来ていた祖母と部屋へ戻り、そのまま祖母の部屋に入り浸り、ニッキ飴や抹茶飴を食べながらテレビを観ていました。
当時はたくさん時代劇が作られており、そこで観ていたのが夕方によくやっていた時代劇の再放送でした。
特に好きだったのが「遠山の金さん」で、私が初めて好きになった芸能人はその主演俳優さんでした。祖母とよくいたため、私は軍歌だの予科練の歌だのを口ずさむ保育園児でしたが、初めて覚えた歌謡曲もその主題歌の「すきま風」だったと思います。
当時の時代劇で記憶にあるのは、出てくる小道具の傘や提灯は何故かとても重たくて重厚な感じでした。
実際に竹の骨や紙も厚くてしっかりした作りのものだったのかもしれません。
さて現代の話です。
先日テレビで久々に、最近作られた時代劇を観ていてふと違和感を感じました。
誰もその時代に生きていた人がいない以上、時代劇はSF劇です。好きに作り上げてよいとは言え、あらゆる芸能がそうであるように、観ている人に「あれ?」と思われては、そこから観客は離れていくのです。
洋服でない着物の所作、言葉使いや台詞回し、小道具。
その時の違和感は、劇中、夜分主の足元に下男が提灯を差し出しながら歩く、というシーンの提灯でした。
ペッカペカに新しくキレイな提灯なのです。
作りたてなら当然ですが、"汚し"ということを
しないんだなと思いました。
ぼろぼろではあるが垢じみていない浮浪者の着物、縫物をしているはずだがどこで糸を切ったのか分からないしぐさ。
それらしいものが映っていたらそれでええやろ、では学芸会と一緒やな...と思います。
いろいろなところでプロというのが生き難い時代になっていくなぁと思うこの頃でした。
制作部 A