「提灯屋さん」責任編集。大提灯、祭り提灯製造と紹介。
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[提灯レポート]2012/04/16
正しくは維新の時代の勤皇の志士、高山彦九郎の銅像のことです。
この高山彦九郎正之(1747-1793)という人は群馬の出身で18歳の時、以来5回上洛しましたが京都に出入りする折には、この伏し拝した銅像の姿のように御所に向かって拝礼したそうです。
律儀な人だつたのですね。東海道五十三次の起終点でもあり、往時の都の出入り口だった三条大橋のすぐ側に建てられています。
この京阪三条駅も昭和46年頃はまだ地下にもぐってなくて地上で陸橋まで架かっていた時もありましたね。浜大津へ行く京津線もこの駅を出るとすぐの急カーブをきしませながら走っていたものです。
ここから北へ伸びる川端通りも道幅は狭かったし堤防は放置自転車がはばをきかせていました.
ごちゃごちゃとしてはいましたがその時は、それなりに情緒がありましたね。
その後どんどん整備されていく駅のまわりを、体でビンと感じながら高山彦九郎もさぞかし落ち着かなかったことでしょうね。
その三条大橋を西へ渡ると木屋町通りです、色とりどりのネオンや提灯とかで夜はきれいですが、昼間歩いてみるのも又違った風情があって良いとおもいます。夜には全体がよく解らない古い店構えのお店もたくさんあります。
そんな中、今にも真ん中がパックリ口をあけそうな、とても古ぼけた我が社製作のでっかい提灯を発見しました。その時は、驚きと困惑と懐かしさが入混じり、これが大昔だとすれば「その場に土下座」して「よくぞココまで持ち耐えてくれました」と涙してしまうかもしれませんね。
数週間後、土下座前で待っちきって【待ち合わせて】木屋町通りをあるきました。
真新しくなった提灯を見上げながらのれんをくぐったのでした。
製作部 T.Yokoyama(;^◇^;)ゝ