「提灯屋さん」責任編集。大提灯、祭り提灯製造と紹介。
提灯や祭りについていろいろなんでも話しています。
[提灯レポート]2011/12/09
休日、時々奈良に出掛けます。
私の通う"いつもの奈良"は、奈良公園から奈良町周辺の小さなエリアですが、この辺りで過ごしていると、時間の流れがゆるやかになった様に感じられて、ゆったりとした気分になれます。
先月は、興福寺で特別公開されていた国宝・三重塔の弁才天坐像を拝観するために出掛けました。
興福寺に着くと、まず南円堂へ。
西国三十三所巡りの第九番札所である南円堂では、一対の提灯が迎えてくれました。
正面に「南円堂」と墨書され、両側面に「下がり藤」の紋を配した、一対の高張提灯。
やはり、まず提灯に目がいきます。
色々な場所で、実際に使用されている提灯。
他の提灯屋さんの製作された提灯との出会い、そして、そのお仕事を見せて頂くことは、楽しく、とても勉強になります。
南円堂に参拝した後、この日の目的である弁才天様のいらっしゃる三重塔へ。
弘法大師が天川から勧請したと伝えられる、この弁才天坐像。
写真を一目見て、"なんて可愛らしい弁才天様!ぜひ直接お会いしたい"と思って訪ねたのですが、実際に対面すると、写真で受けた印象よりも、もっと生命感のあるお姿でした。
慈しみを感じさせるその眼差し。
優しい微笑みをたたえた、ふっくらと可愛らしい、童女のようなそのお顔。
見ていると、こちらも笑顔になって、とても幸せな気持ちになりました。
おおらかでありながら、凛とした弁才天様。
この日は、本当に素敵な出会いをさせて頂きました。
そしてつい先日も、思い立って、夕方から奈良に出掛けました。
興福寺に着く頃にはすっかり日も暮れて、南円堂の姿も闇に包まれる中、御堂に掲げられたあの一対の高張提灯が、やわらかく温かい光を放って迎えてくれました。
この南円堂には、日が暮れてからも、何人もの方々が参拝されていました。
日中は、あの堂々たる朱塗りの八角円堂の前で小さく見えた提灯も、夜になり火が灯されると、闇の中に浮かび上がって、その温かい光で参拝者を優しく招いてくれている様に感じました。
神仏に捧げられた提灯。
日々訪れる多くの参拝者を迎え、また見送る。
この提灯達も、自分に与えられたその場所で、それぞれに大切な役目を果たしています。
参拝の後、近くにある商店街へ。
アーケードに入ると、すぐに"御神燈"提灯が目に入りました。
『春日若宮おん祭』が間近いためでしょう。
通路から見上げると、御神燈と商店街名が書かれた小型の高張提灯が五灯ずつ並び、紙垂で飾られて、商店街を通る訪問者にも、大切なお祭に臨む改まった空気を感じさせてくれました。
奈良の行事の思い出の一つに、春日大社の『万燈籠』があります。
もう何年も前になりますが、『万燈籠』の夜に、火を灯した小さな提灯を手に春日大社に参拝しました。
猿沢池のほとりの采女神社から一の鳥居を通り、参道に立ち並ぶ石燈籠の灯に導かれるように、参道を埋めたたくさんの人達と一緒に、ゆっくりゆっくりと歩いた時の情景を思い出します。
手にした小さな提灯の灯が、ほのかに足元を照らしているのを眺め、ゆっくりと進みながら、なにか心の内から楽しく嬉しい気持ちになったのを覚えています。
周囲の人達に目を遣ると、私と同じ提灯を手にした人が何人もおられて、その人達もどこか楽しげに見えました。
日々、仕事で提灯作りに携わっていますが、自分自身の生活の中で提灯を使うという機会がほとんど無い私にとって、この時の小さな体験はとても大切なものになりました。
神仏に捧げる提灯、お祭のための提灯、店舗を飾る提灯、等々、提灯にも色々な用途、種類がありますが、照明器具としての実用性を求められることがなくなったいまの時代、提灯に求められるのは、"人の心のための灯り"なのだと改めて感じています。
そのことを心に持って、日々の仕事をしてゆきたいと思っています。
製作部 MY