提灯探訪ブログ

提灯や祭りについていろいろなんでも話しています。

[提灯レポート]2013/03/12

青い空の下で

提灯屋の一年は早いもので、初詣の献燈提灯や商売繁盛の恵比寿神社の提灯から始まり
春祭り、夏祭り(祇園祭り・地蔵盆・町内盆踊り)、秋祭りと、ありがたい事に提灯の数の大小は有るにしろ、一年が通り過ぎて行きます。


全てが、手作業での提灯製作なので、なかなか続けて休暇が取りずらいのですが、この間、一週間の休みを頂き何年かぶりに飛行機に乗り南国(ハワイ)へと旅立ちました。

国内海外とわず私の場合は、観光はめったにせず、ホテルの海辺のプールなどで、朝からビールを飲んでいるのですが、(それは言い訳をすると、私なりの理由付けが有ります。提灯屋は夏休みが、仕事の段取り・都合で休みの時期がずれ、夏本番の海・浜辺に縁がないからです。)
今回は少し違い、ご存知の方も多いと思いますが 「hawaii FiveーO」と言うテレビドラマに出てくるハワイの名所(ハレイワ朝市・カメハメハ大王像・イオラニ宮殿など)巡りをしてみました。

何ということでしょう?(◎o◎)/!
天気の良い青いハワイの空の下に、何と提灯が、それもあの由緒あるイオラニ宮殿に、青い空の下に、盆踊りの櫓の様に、まわりに 多数ぶら下がっていました。
hawai.JPG
久しぶりの、せっかくの休みが、一瞬、不覚にも仕事に引き戻され写真を撮ってしまいました。しかし、すぐに私は休みのモードに戻り、あっとゆう間の休みが終わってしまいました。(提灯作りの一週間は長く感じられる時があるのに休みは早いものです。)

が、こちらに帰り提灯にいつも通り接していると、イオラニ宮殿の盆踊り風の提灯が気になり出し調べてみました。

やはり理由はあり、日本移民に関わる事でした。
幕末から明治維新にかけて日本人移民が始まりました。
その時代は、日本国内も幕府から朝廷への移行時期で内情が荒れておりました。
その様な時に、新天地に夢を求めて移民された人々は、畑仕事(サトウキビ畑)の人夫として、奴隷の様な生活が長年続いたそうです。
その辛い時期のいっときの憩いが、あの宮殿の提灯に込められていたそうです。
きっと提灯に灯った明かりを見て、故郷に思いをはせられていたのではないでしょうか。

そういった人々の想いをのせた提灯は、長い時間の様々な人々の色々な願いが込められていた物で、そういった思いが現在でも通じて、飾られているのではないかと思いました。これからもそういった役割を持った提灯であってほしいと願います。